死神紫郎「さよなら平成」セルフライナーノーツ

序幕

架空の映画のオープニングをイメージしました。
人生の始まりは「映画のように切って落とされない」という暗喩です。
人はあるとき無意識にこの世に生み落とされ、あるとき死んでゆく、という考え方からです。
近年にしては珍しく多重録音の作品です。
琴のような音は2本のエレキギターで出しています。
その他、小太鼓、シンバル、シンセサイザー、エレキベースもそれぞれ演奏しました。
それっぽく小太鼓やシンバルが叩けるのは、5年間吹奏楽部でパーカッションを担当していたからです。

続・自殺の唄

人は自分で死ぬことができる数少ない生き物なのですが、
キレイに死ぬことはできないよというメッセージです。
汚く生きろ、とは言いません。
ただ、皆キレイに生きようと過剰に自分を押し殺している、そんな気がしてならないのです。
これもまたある種の自殺と言えるでしょう。
自殺大国、日本にて。

七人掛けの椅子

電車の中には小さな日本があると思っています。
七人掛けの椅子に六人の勝者がゆったりと座る。
蹴落とされた一人の犠牲の元に成り立っている余裕と安らぎ。
すし詰めの車内は希望に溢れた天国行きと見せかけたkaroshiよろしく地獄行き。
椅子に座れた勝者も椅子に座れなかった敗者も、運ばれてゆくのは結句、死という名の終着駅。
ようやく座れた電車の中で、眠ったふりをしながらそんなことを考えていました。

二足、影絵踏み

人はよくも飽きずに歩き続けている。歩いて歩いてどこへ向かうのか?
これもまた死に向かって歩いているのだと思います。
すべての人が、死へ向かって行進している。
死んだ後も影のまま歩き続けてしまうんじゃないかと思うくらい、人はよく歩く。
肉体を失った影絵の行進。
死んだ人の数だけ増えた影が、生きている人を逆に踏みつけるラストはただの空想です。
珍しくピアノを演奏しています。
子供の頃、4年間ヤマハの音楽教室で習っていた名残です。

なにかの拍子

内在するビートを、声で即興的に放出したものです。
舞踏家・中嶋夏氏の稽古場でよくやるメソッドの一つです。
人の数だけリズムは存在します。
それらを整えずに、自らの呼吸と間合いに任せ、エネルギーとして一気に放出します。
8ビートに画一で成型されていない音楽、私という人間の中に眠る「拍子」を打ち出しています。
これはボーカルに1本による“演奏”です。
後半にかけたエフェクトは、フェイザーです。
自らが吐き出したものにオロオロと飲み込まれていく、そんなイメージで掛けました。

夢遊蝕-ムユウショク-

これは夏場の一時期かかる夢遊病をテーマにしました。
寝ている間に、お菓子やパンを食べる。
目覚めたら開けっぱなしの冷蔵庫の前だったり、裸にサンダル姿で玄関に立っていたり。
主に食べていることが多かったので勝手に「無遊食」と名付け、
それをもじってタイトルにしました。
“食べる”という能動ではなく、蝕まれ“食べさせられる”という受動の非日常の感覚を、
「これは使えるぞ!」と曲にしました。
立派な病気なんですが、芸人の性です。なお、現在は完治しています。

死角い浴室

風呂場をテーマにこの世を一つの「浴室」と捉えてみました。
釈迦の手のひらで翻弄される悟空よろしく、同じ場所で何度でも転んでは、のたうちまわる。
広い世界で生きていたつもりがまさか浴室の中を生きていただけだなんて。
浴槽の中身は不条理の沼。案外見えないんです、死角なんです。

さよなら平成

平成はネットの出現により、人との繋がりが変化した時代だと思っています。
画面越しの人間関係の増加、絵文字などによるコミュニケーションの記号化など。
人は常に自分たちが作り出した文明に翻弄されながら生き、そして死んでいきます。
平成という時代は終わりましたが、
私の体内でこれまで生きてきた平成が今なお息をし続けています。
私が自らとさよならするとき=死、それがあなたとの真の別れであり、
平成との別れでもあり、この世界、全宇宙との別れだと思っています。

牛は屠殺を免れない

牛が食肉用として飼育され、消費されていくように、
人も飼育され、消費されていく存在である、というテーマの曲です。
人は自ら働いているのか?働かされているのか?
逃げ場のない労働場(牛舎)で、働き続ける人(牛)たち。
そこから逃げ出すこともできず、karoshi(屠殺)までの時を待つ人(牛)たち。
もちろん、働かせる側の人(飼主)も、
最終的に死(屠殺)から免れることはできないのですが。因果ですね。

どうせいつか壊れてしまう人間は悲しい肉の飴細工だから(live)

2015年に発表したシングルのライブバージョンです。
ライブ感を感じてもらうために歌詞の記載はしませんでした。
人は最も優れた生き物のふりをしているだけで、
脆く、壊れやすく、矛盾した生き物だと思っています。
所詮は頭でっかちなだけの、どうせいつかは死んでしまう弱い生き物なのです。
これは歌詞の一行一行を追うと分からない歌詞になっています。
「どうせいつか壊れてしまう人間は悲しい肉の飴細工だから」
という大きなフレームで“感じて”みてください。

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